「結婚」ってパワーワードですよね。
相手がいなくても「結婚はしたい」、そう思う人って少なくないんじゃないかな。ってわたしがそうなんですけど。(笑)
でもこれってすごく変な話で。好きな人がいて、この人と一緒にいたいから結婚という選択肢がでてくる。それが自然じゃないのかなって気がするんです。なんとなくね。
でもそうじゃなくて結婚という概念にとらわれてる気がして…。
だかた、あらためて「結婚」についてまじめに考えてみたいと思うんです。
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結婚の起源はわからない?
今回いろいろと調べてみて、「結婚の起源はわからない」ということに驚きました。
諸説ありますが、諸説あるってことはつまりわからないってこと。なんか意外じゃないですか?
ただ、農耕社会を長い時間農耕社会を生きた人間にとって、
結婚は生活のためであり、愛情があるから結婚するのではなかった。
世界の結婚スタイル
結婚について考える前に、世界の結婚のスタイルを見てみましょう。
ヨーロッパ
キリスト教国の影響が強いヨーロッパでは、日本よりも離婚することが難しく、簡単には結婚しない傾向があります。なので事実婚という選択肢がメジャー。
カップルはまず同棲し、未婚のまま子どもを持つことも珍しくない。
制度的にも事実婚の関係が夫婦と同様の権利を政府から認められていることが大きいのかもしれませんね。
インド
近年恋愛結婚が増えてきたものの、従来のように両親が決めた相手と結婚する人が多数派です。
特にヒンドゥー教徒の間ではカースト・宗教が同じ相手との結婚が望ましいとされるそう。
ん〜〜大変そうですね…。
ケニア
人数制限なしの一夫多妻制が認められており、1人の男性が10人以上の妻を持つことも可能です。
同棲の概念がないため、男女が同じ家の道具を一緒に使い始めた時点で結婚とみなされ(なしくずし婚)、その後2人で親戚・友人に挨拶回りをして、夫婦になったことをお披露目。
ただ対立する部族同士だと結婚へのハードルは高くなります。
(参照:日本と似ている? それとも違う? 世界9ヶ国の結婚・離婚事情)
世界の結婚スタイルも「へぇ〜そうなんだ」と思いますが、「え!?そんな形もあるのね!!」と驚きたくなる男女の関係もあるようで…。
世界のちょっと変わった男女の関係
エスキモーは、昔から「明かりを消して」というゲームをしてセックスの相手を交換しあう。消されたランプが再びつくと、大笑いとなり、「あんただとわかっていた」などと冗談をいいあって北極の長く暗い冬を楽しむ。
西太平洋に浮かぶ温暖なウリシの島々に住むミクロネシアの漁民は、毎日セックスをする。また、「ピ・スプフィ」と呼ばれる祭りがあって、その日は、昼や夜に、男女が連れだって森に出かけ、そこでくつろぎ、ピクニックをし、セックスをする。このとき、夫婦は一緒にいってはならず、恋人どうしもなるべく別々に出かける事になっている。男女の数がそろわないと、セックスの相手を共有する。
インド中央部のムーリア族~のどの部落にも「ゴトル」(子どもの家)が一軒ずつあり、子ども達は薪がひとりで背負える年頃になると、その家に住む。「ゴトル」ではすべての作業や活動が共同でおこなわれるが、セックスも例外ではない。少年少女たちは、一緒に寝る相手を毎晩選び、真夜中までにそれぞれが選んだ相手とベッドに落ち着く。~本当に相手が好きになってしまったカップルは、4日に一度は別の異性と眠らなければならない。ムーリア族の大人達は、「それは愛情を長続きさせる方法」で、結婚する前に欲望を燃やし尽くしてしまうべきではないと考えている。
タンザニアのトゥル族は、ほとんどの男女に愛人がいる。彼ら農民や牛飼いたちにとって、結婚はビジネスにすぎない。女たちは小さい頃から、結婚したら夫にしたがうものと教えこまれているが、夫を愛することは要求されない。トゥル族は、結婚した相手に愛情を持ち続けることは不可能に近いと考えていて、「ムプャ」(恋愛)を大切にする。もっとも「ムプャ」をするしないは自由である。
(参照:書籍 結婚の起源―女と男の関係の人類学 (自然誌選書)より
ブログ 婚姻史シリーズ~書籍紹介:「結婚の起源」女と男の関係の人類学)
恐れ入りました…。
わたしの考えは甘かった。いろんなスタイルがあるんですね。
なおみの考えたこと
(※写真と本文は無関係です)
浮気はだめ、不倫はだめ、お付き合いは一人と。当たり前だと思っている考えは、本当はすごく不自然なことなのかもしれない。
ある時代で必要だった考えなだけで、今の時代にはいらないのかもしれない。
でもそれが当たり前になっちゃったから、当たり前だと感じている。
あなたはどう思いますか?
わたしはこんなこと言っておきながら、男女がおたがい複数と関係をもつことがしっくりこないなぁ。今はね。
だって、人の持てる愛情の量ってそんなに変わらないでしょ。
1日も24時間のままで、持っている資産だって今のまま。
同じものしかないのに、それを注ぐ相手が二人いたら、愛情も時間もお金も半分になっちゃう。
相手が複数いたら、足し算になっていくから総和は変わらないのかもしれない。でもそんな器用なことができる気がしない…。
ただこの考えも、今まで触れてきた”常識”から出てきているもの。
結婚や愛情の形にいいも悪いもないし、正解や不正解はない。でも自分なりの正解は見つけていきたいなぁと思うんです。
まだまだ模索中ですね〜〜