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ビジネススキル

「チームのため」は人を巻き込むエゴである

人はみなエゴイストだと思っている。だから「チームのため」というのは、最大のエゴだと主張したい。

自分がチームのためになっていると感じたいから、チームが喜んでいるのが自分の喜びだから。だから「チームのため」に頑張る。でもこれって結局「自分」がそう感じたいから、「自分」の喜びだから。「チームのため」というのは全然きれいごとじゃない。

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「チームのため」に行動できるようになってから変わった、というのは間違い

これはよく言われることですよね。あたかも「チームのため」に考えるようになったから、成果がでるようになったんだみたいに言うけど、順番が違う。

 

×:チームのために考える→成果が出る

○:レベルアップする→自分の成功達成→もっと達成したい→チームの達成を考える

 

チームのために考えるからうまくいくんじゃなくて、自分一人でできるようになったから、そこまで考えられる。それに人は現状維持じゃ満足できないから、さらなる達成が欲しくなって、チームでの成功を求めるようになる。

「チームのため」という言葉はきれいだし、自分を主張しないような響きを含むが全くそうではない。自分だけじゃ満足できないから人を巻き込んでいる。エゴだ。

 

人間の「エゴ」というきたなさが、とてもきれい

「誰かのためって言っても、結局自分がそうしたいからでしょ」、そう言うとムッとする人がいる。どうして「自分のため」に動くことがきたないもの、悪、としてうつるのか微塵も理解できない。

この人間のエゴ、自分勝手さこそ、人らしくて、私は好きだ。自分勝手に人を想い、期待し、そして裏切られ、傷つく。自分勝手に想ったんだから自分の責任である。なのに、あたかも相手が悪いかのように主張してしまう。そんな弱さも好き。そしてそんな弱さを受け入れられない弱さも、人間らしくて素敵。

 

なのに、「チームのため」「誰かのため」という心地のいい言葉にその弱さを全て隠してしまう。せっかくの人間らしい矛盾に満ちたこの感情たちを、きれいな言葉を使って見えなくする、気づかなくさせる。

こうやって自分の都合で、きれいを身に纏おうとする人は、自分を見つめていない人。私は、そういう人が信用できない。

自分勝手でいいじゃん。

 

「チームのため」を考えるのは、自分で成功した先にたどり着ける考え。でもそれはきれいごとなんかじゃなく、エゴでしかない。そして、そのエゴはきれいで尊いもの。

  • このブログを書いている人

なおみ

アラサーの食べることが大好きな働きウーマン

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