大学生のとき、ママとは仲はそこそこいいけど、言い争いも多くて、キライなところもたくさんあった。
一緒にでかけたり、二人で飲みに行ったりもする。
でも、ママは家事が苦手だし、人が話しているのに割り込んで話すし、話はよく飛ぶし、ご飯食べすぎだから太っているし、糖尿病なのに血糖コントロールできていないし、カバンの中きたないし、物が多くて部屋が片付けられないし、計画立てるの苦手で全部人任せだし。なんかイラっとする。w
表立ってトラブルがあるわけでもないし、すっごい不仲でもない。でもしっくりこない部分が多い。そんな感じ。
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社会人になって、仕事上発達障害が身近なこともあって「ASD(アスペルガー)だよね」「ADHD要素あるよね」って言われることがでてきたの。はじめは「違うしw」って思っていたけど、だんだん「そうかもしてない…」って思うようになった。
例えばASD(アスペルガー)らしさで言うと、
- よく「人の気持ちわからないよね」って言われる
- 周りの声が聞こえなくなるくらい没頭することがある
- 周りの車のナンバーに集中してよそ見運転することがある
- 一人でもくもくと作業することが好きだ
- マイルールのこだわりが激しい
- 疲れているのに気づかなくて急に動けなくなる
とか。
ADHDらしさで言うと、
- よくものにぶつかるから常にあざができている
- 忘れ物をして家に戻ることが何度もある
- 財布や携帯など大事なものをよく置き忘れる
- 飛行機の時間を勘違いして乗り遅れる
- じっとしていられず動きたくてたまらなくなる
- 衝動買い、衝動食いをする
- 提出期限を守らない(守れない)
とか。
完全なるASDやADHDではないけど、いわゆるグレーゾーン。
発達障害とは、風邪やインフルエンザのように0か100ではなく、グレーゾーンが大きいもので、誰にでも気分の波があるように、生活環境や人間関係などで症状が強く出る場合もあれば、不自由がないまま過ごせる場合もあります。
自分がASDやADHDの傾向があるかもしれないって思ったら、すごく生活しやすくなったのを覚えてる。それまで気づかなかったけど、よく考えたら困ってたなぁって。でも困ってるのが当たり前で、困ってることに気づかなかった。
「私ってASD/ADHD要素あるんだな」って気付いてから、ASDのこだわりの強さを活かしたらいい、ADHDの忘れっぽさは諦めて他の人にサポートしてもらおう。そう考えるようになった。そうしたら楽になった。
よくよく考えると、ママもそう。
家族に「私発達障害っぽいって言われるんだけど、どう思う?」って聞いたら、ママ以外が同意したの。発達障害って遺伝的な部分があるから、きっと私の発達障害らしさはママからの遺伝なのかもしれない。ママにとっては発達障害らしさが普通だから、しっくりこなかったんだと思う。
家事が苦手なのも、人が話しているのに割り込んで話すのも、話がよく飛ぶのも、ADHDの特徴。多分ママはそういう脳の特徴がある。だから仕方ない。それがママなんだもん。
信州大学病院診療教授の本田秀夫氏は「『障害』という言葉で誤解を招いている側面もある」と説明する。「Neurodevelopmental Disorders。これが現在の発達障害の英語表記です。つまり直訳すると『神経発達のずれ』。これまで人間は誰もが定型の曲線を描いて発達していくと考えられてきたのが、どうやら人それぞれ発達のスピードは異なり、かつ能力のすべてがパラレルに成長していくわけでもないということがわかってきたんです。発達障害は、決して発達しないわけではなく、発達の仕方が独特で定型発達の秩序からは外れているということです」
こうやって「ASD」「ADHD」という枠がないと相手を認められないのは、悲しいことなのかもしれません。でも、この枠があったからこそ自分を理解できて、ママを理解できた。
だから私は「発達障害」っていう概念が好き。
パパがママに怒ってるときも言うの。
「ママはADHDなんだから仕方ないよ。ちょっとドパミンが少ないせいで気付けないことがあるんだよ」って。ママには「ママはADHDの傾向があるんだからそろそろ自覚しよw苦手なことは仕方ないけど、注意したら変わる部分もあるはずだよ」って。
二人とも納得したような、してないような顔するんだけどね。でも二人とも「もう…(怒)」って感じは消える。お互いの違和感に名前がつくからちょっとすっきりするんだと思う。
それからね、発達障害と言われるスティーブジョブズもビルゲイツもエジソンもアインシュタインも、楽天の三木谷さんも。みんなかっこいい。だから「発達障害」ってすてきだと思うんだ。