まず結論から…
「変わり者」の存在
結論から書いてしまいます。何か大きな変化があったとき、その中でも生き残れるようヒトの多様性は存在していると思います。そのための24×2(本)の染色体で、224の可能性を生んでいる。
ここで言う「変わり者」をある種の外れ値だとするなら、それはまさに224の可能性が生んだ産物なんじゃないかなと。だとしたら、それは大きな環境の変化が来たとしても、種を残すため、【保存】するための存在。
「普通の人」の存在
ただ種を【保存】するだけでは意味がなくて、大きな変化があり、なんとか生き延びた後はその状況を継続する必要があると思うんです。変化の後に生き延びていく、今の状態を【継続】していくために「普通の人」が必要なんじゃないかなと。
安定した環境であれば、外れ値よりも、そこの調和を乱さないことが大切な気がします。そのときには、もしかしたら「変わり者」は邪魔な存在にもなってしまうかもしれない。(真の意味の安定は存在しないとも思いますが。)
「変わり者」と「普通の人」の存在意義
つまり、変化時の種の保存のために「変わり者」の存在が必要であり、安定時の種の継続のために「普通の人」は必要なんだと思います。
「変わり者」と「普通の人」は分かり合えるのか?
「変わり者」は普通であることをつまらないと感じ、「普通の人」は調和を乱す変わり者に不快感を感じることがあると思います。異なる価値観を持っている者同士なので、ある程度は仕方ないのかもしれません。
だから分かり合う必要はないんじゃないかなと。でも相手の考え方を知る必要はあるし、尊重し合えた方がいい。これって誰に対しても、何に対しても同じことなんじゃないかと思います。違うなら違うでいいし、分かり合えないなら無理する必要はない。でもお互いのことは尊重しようよ、って。違うからこそ、学べることはたくさんあるとも思うんです。
さいごに
なんでこんな話を書いたかというと、こんな話を友人としたから。私はどちらかというと「変わり者」って言われることが多いけど、友人はすごくバランスのとれた、ここで言う「普通の人」。普通の人って言ってしまうとなんとなく語弊があるけど、本当に優秀でバランス感覚に優れている人。
見方が違うから、相談すると新たな視点をくれる。気付けなかったことに気付かせてくれる。私はあまりバランス感覚のない方なので、自分の何が強みで何が弱みになっちゃてるのか教えてくれる存在です。話の結論は、お互い生物として必要な存在だねってことなんだけど、それを話す過程がとーっても楽しかった。それでこんな話を書いたわけでした。