注文をまちがえる料理店のつくりかたを読んで、というか読んでいる途中から、湧き出る暖かい気持ちと、どうしようもなく込み上げてきてしまう涙、もやもやした想いや、もやもやを乗り越えて来る心地よさを言葉にしたいと思ったので、ブログを書いてみます。
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「注文をまちがえる料理店」とは?
2018年9月16日〜18日の3日間、東京六本木のレストランでオープンしたお店。
その名のとおり、オーダーや配膳をときどき間違えてしまうお店です。なぜかというと、このお店で注文を取るスタッフは、みんな認知症の方。間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむというコンセプトを掲げたお店です。
お店をオープンするにあたって、資金はクラウドファンディングで集められました。24日間で1291万円が集まり、オープンされました。
そんなお店のフォトドキュメンタリーブックが、「注文をまちがえる料理店のつくりかた」です。
「注文をまちがえる料理店ってイヤな響きにならないかな?」「これをいいと思うのは逆に差別なんじゃないか?」…と浮かんでくるもやもや
本文にこんな記載があります。
「認知症の人を笑いものにするつもりなのか?」「間違えると思って期待したのに、つまらなかった」……。戸惑うお客様の様子や、右往左往してつらそうに注文を取るおばあさん。そんなネガティブな映像がぐるぐると頭を巡るのです。
「注文をまちがえる料理店のつくりかた」P74より
本を読み進めて、そこにある文章に、そこにある絵に心を動かされるたびにふと感じるんです。「これでいいのかな…?」
認知症の人を無意識に下に見ているから私は感動しているのかな(だとしたらいやだな)、他の人がこの本を見たら認知症という名前で人寄せしたイベントの話だと思われるんじゃないかな(だとしたらいやだな)、結局認知症ってラベルがないと人を受け入れられないってこと?(だとしたらいやだな)…と。
本の後半にはこんな記載があります。
「間違えることを象徴とさせるなんて、私たちのことを馬鹿にしているのか!」怒涛のごとく反対意見が押し寄せ、途中で「関わりたくない」と帰宅された方もいたそうです。
「注文をまちがえる料理店のつくりかた」P338より
「注文をまちがえる料理店」というのは、新鮮で、多分いろんな人の価値観に触れたもの。だからこそ、“もやもや”は存在するし、実際に傷つく人もいたと思います。そこに丁寧に寄り添ったからこそ、成功したイベントなんだろうし、本を読む中でも自分のその感情に向き合わせてくれるから、私も今こうして記事を書いています。
最終的には「まぁ、いいか」って、てへぺろの輪の中へ
“もやもや”を感じながら本を読み進めると、この注文を間違える料理店に関わった方のコラムが出てきます。
プロとして間違ってはいけないと思うし、立場が上になれば「しっかりやること」を指導しなくてはいけない。でも、おばあちゃんたちを見ていて、お客様に迷惑をかけなければ、「まぁ、いいか」もあるなんだなって。
「注文をまちがえる料理店のつくりかた」P169 より
本を読むだけの私なんかより、ずっと深く「注文をまちがえる料理店」に関わった人も同じように感じて、でも自分の中で折り合いをつけていく。「まぁ、いいか」って。
田町市の「注文をまちがえるカフェ」でも反対意見が強くある中、全員の納得が得られるまで、粘り強く妥協のない話し合いが重ねられたそうです。
自分の中の不安な気持ちに「まぁ、いいか」と前を向き、根っこにある「何をしたいか」を真摯に伝え続けること。逆に、「まぁ、いいか」と思えるくらい、正しい根っこをもつこと、真摯に伝えることを、私はこの本から教わりました。
もともと「まぁ、いいか」と思ってもらえる空間が「注文を間違える料理店」が目指したものだったんだと思います。でもこの「まぁ、いいか」は他者だけじゃなくて、自分にも向けていいもの。「まぁ、いいか」って思えるから、頑張れること、一歩を踏み出せることってたくさんありますよね。
みんなあるがままで受け入れてほしいし、受け入れたいと思っている
「注文をまちがえる料理店」に人が多く集まったのは、イベントとして新規性があったことはもちろんですが、みんなあるがままで受け入れてほしいし、受け入れたいと思っているからなんだろうな気もします。
お店には幼児もいて、大きな声で泣いていたりもしましたが、誰もそのことをとがめたりしない。お年寄りも、子どもも、障がいのある人もない人も、認知症がある人もない人も、誰もが、あるがままで、そこにいることを受け入れられている。そんなあたたかな空気に包まれている感じがしたと、プレオープンのあと、菊池さんは教えてくれました。
「注文をまちがえる料理店のつくりかた」P252より
あるがままを受け入れることはそんなに簡単じゃありません。特に余裕がないときなんて、人に多くを求めてしまいます。急いでいるときにコンビニのレジがもたついていたら「早くしてくれ〜」って思うし、急いでいるときに前の車が信号が変わったことに気づかず出発せずにいると「もう!」って思っちゃう。
いくら寛大さが重要だといっても、なんでもかんでも許されるような社会になったら、やっぱりそれはそれでうまくいきません。こんな料理店があり、きょうは時間にゆとりがあるから、店員さんとゆったり会話でも楽しもうかな、みたいなことを人は求めていたのではないでしょうか。
「注文をまちがえる料理店のつくりかた」P329より
みんなあるがままで受け入れてほしいし、受け入れたい。でもいつもそんな風にはいられない。そんな今の環境に、”あるがままを受け入れる” 環境を「注文を間違える料理店」は作ってくれた。だから人が集まったのかもしれません。
さいごに
私たちは「〜しなきゃ」「〜するのが当たり前」と、ついつい自分自身や他者をがんじがらめにしてしまう言葉に囲まれています。そういったものから距離をおける、というよりもう一つ高い目線でものごとを見せてくれる。
「注文をまちがえる料理店のつくりかた」を読んで、優しいあたたかな気持ちになれただけじゃなくて、もっと頑張ろう!って思えたんです。
「注文をまちがえる料理店」をサポートしたスタッフメンバーの方々は、みなさんプロフェッショナルの方たち。料理のプロ、福祉のプロ、広報のプロ。色んな分野のプロが集まってできたもの。各分野で色んなスキルを磨いてきた方たち。そんな人たちが集結してできたもの。
料理が美味しくなかったら、認知症のおばあちゃんが途中でパニックになったら、お客さんにケガをさせたら、お客さんが集まらなかったら、すてきな空間がなかったら、おしゃれじゃないロゴだったら。だったら、「注文をまちがえる料理店」はそっとオープンして、注目されなかったかもしれない。
タラレバの話ではあるけど、やっぱりそれぞれのプロがプロとして仕事をしたからこその成功で、ここまで注目を集めて、人の心を動かすんだと思うんです。
認知症がある、あるいは身体に障がいがあるというだけで、自分がいっぱいやれることがあるのに、できることを発揮する機会を奪われる。自分に意思がいっぱいあるのに、その意思を確認もしてくれない。
「注文をまちがえる料理店のつくりかた」P297より
プロとしての能力やスキルがあるから、認知症の方ができることを発揮する場を作ることができた。きっと他の場所でもこれから作られていく。
当たり前のことなんですけど、能力やスキルが人のためになるってすごい嬉しいことだよなぁと思ったんです。
スキルの向上と役立つことは、いつも同じ方向ではありません。スキルを磨くこと自体も楽しいし、新しく何かができるようになることって達成感があって嬉しいもの。それが誰かのためになることは、何かできるようになるっていう自己満足をはるかに超える嬉しさがあるんですよね。そんなことに気付かせてもらいました。
普段仕事をしていたり、ブログを書いていても、私はついつい目の前のことばかりに集中してしまいます。目の前のことだけに一生懸命になっちゃうんです。
本を読んで、目線が一つ上がったっていうのかな。今していることが誰かのためになるんだってこと、それだけじゃなくてスキルを磨いた先にはじめて見える景色があるんだろうなって思ったんです。だから頑張ろう!って思ったんです。久しぶりに自信を持っておすすめしたい本に出会えた気がします。
この記事を書いていて、もっと感じたことをそのままマルッと言葉にできるようになりたいと思いました。うまく言葉にできず悔しい…。